ご門徒さんの御文章箱から

御文章は浄土真宗の本願寺派・大谷派・興正寺派のご門徒さんのおうちに据え付けられてる、八代目の御門主様蓮如聖人が各地に送ったお手紙をまとめた書物です。
僕らは法要の最後に御文章を納める箱をパカリと開いてうやうやしく頂きゆっくりと読みます。
この御文章はご本山からたまわるものです。
まぁ最近は仏具屋さんで買ってる人も多いですが、昔はお仏壇の御本尊と御文章はセットで旦那寺からご本山に依頼していました。
もちろんいまでもお寺に言ってもらえば本山からご購入できます!
むかしはお手紙送って授けてもらったり、実際に京都まで行ってたのかもしれません。
今は本山へFAXするとすぐに送ってくれます。。。
なんだか味気ないですが便利ですね(汗


あるご門徒さんのお母さんが亡くなり、娘さんが7日参りのために御文章箱を仏壇の奥から探し出しました。

すると中から本山から御文章を頂いた時の資料も出てきました。
明治43年5月6日に「依頼をこうむり授与いたしました」と書かれております

その御文章には明治42年9月21日に書かれたものであること。当時の御門主が鏡如上人であることが末尾に書かれていました。
鏡如上人とは・・・これもご縁か・・・
鏡如上人、当時は大谷光瑞猊下は明治の西本願寺教団を父親の光尊猊下とともに近代化した優れた御門主で、早くからイギリス留学され、その帰国の途中でインドを探検、お釈迦様の聖地霊鷲山を再発見しました。そのご3次にわたり大谷探検隊を組織しました。
さらに日露戦争では従軍僧侶を派遣し海外布教も積極的に支援しました。
しかし戦後、本山内部では戦争への傾倒、資金の使い過ぎ、政治的な動きも相まって門主職をおわれます。
療養中にソ連軍に捕縛され抑留されることも経験され、
最後は療養先の別府にて往生なされました。
激動の時代の傑物門主です。
大学時代に光瑞猊下の時代を調べていたこともあり、大変に興味深くまたご縁だなぁと思わされました。

みなさんのおうちの御文章箱にも色々な歴史が詰まってるかもしれませんよ(>_<)

 

2018年06月10日