徳勝寺の歴史

正平17年(1362)7月
細川相模守清氏、細川右馬頭頼之との戦いに斃れる。

応永15年(1408)
清氏の子・細川治部佐實弘(幼名・美津次丸)、夢告を受け「上醍醐寺」「下醍醐寺」を開基。
實弘の三子(弘氏・金氏・之氏)のうち金氏が比叡山で修学し勇閑法師となる。
勇閑法師の死後、兵火に遇い廃れる。

長享年中(1487-1488)
布施大明神の社司である筑後高教の子高祐は夢告により上醍醐寺跡より阿弥陀如来金像を掘り起し、上醍醐寺を中興。
高祐、蓮如上人に謁見し念仏門に下る。
「安阿弥作 阿弥陀如来像」「蓮如上人直筆 六字名号」を下賜される。

元亀年中(1570-1572)
本願寺の石山合戦 顕如上人の頃、本願寺の要請をうけ第9代住職通教、糧米拾石を献上。
徳勝寺門徒・藤井太郎右衛門、織田陣営より射られた矢から顕如上人をお守りする。
太郎右衛門、顕如上人より鏃ならびに「上り藤三階松」の家紋を授けられる。

天正11年(1583)
兵火に遇い流浪。

寛永年中(1624-1643)
住職通教、老体をおして最後の上洛本山参拝へ向かう。
良如上人、忠勤に感じ入り寺号「徳勝寺」をお授けになる。
第10代住職恵證、老齢の通教に変わり上洛し以下の物を賜る
 「蓮如上人御影」一幅(良如上人御判・御真筆御裏書)
 「紺紙金泥阿弥陀経」一幅(恵心僧都真筆・後焼失)
 「蓮如上人御消息」一帖(證如上人御真筆)
 「六字尊号」一幅(證如上人御真筆)
 「徳勝寺寺号」一幅(良如上人御判御真筆・後焼失)

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高松安養寺末となる

寛文年中(1661-1672)
第11代住職證諧、藩主松平頼重公に評価され法話を仰せつかる。
空地であった牛頭天王社地を藩主より拝領し、寺院を移す。
藩主が白鳥神社参詣の御休所に指定される。梨一斤ならびに南天古株を献上。
茶入・茶碗を拝領する。

延寳4年(1676)
證諧住職急死。同年8才の教善が第12代住職に法灯継職する。
住職幼いため近隣の門徒がかわるがわる朝夕の勤行を行う。

天和元年(1681)
申酉の洪水により出火。庫裏ならびに御宝物・書籍を焼失する。

天和年中(1681-1683)
風の当たりがきつく街道から外れていることを理由に、元の境内地近くにある現在の布施に寺院を移す。

寛延3年(1750)
第14代住職嶺鳳住職、安養寺末を離れ興正寺直末となる。

明和6年(1769)
第15代住職霊岳住職、由緒を認められ一代飛檐の位に叙せられる。

安永5年(1776)
永代飛檐に叙せられる。

寛政10年(1798)
天王地区の百姓たち、空地となった徳勝寺跡を得ようと奉行所と寺社奉行に訴え出るもさし置かれる。

文化4年(1807)
第19代住職霊道(蕙崖)住職、本堂を再建。
時に末村の藩主菩提寺霊芝寺を再建しようとするも、考えていたよりも堂が小さいと思い、見直しを指示する。その堂の部材を末村の広瀬氏を中心とした徳勝寺門徒が買い取り、現在の本堂と入れ替えて再建する。それまであった本堂は清水の宝円寺に移築する。
住職は足りない部材などを購うため、絵を描くことで寄付を募り完成に至った。現在も本堂天井絵などに残る。

慶應3年(1867)
第22代霊瑞住職、永代内陣に昇進する。

明治8年(1875)
興正寺が別派独立すると本願寺直末になる。この時期に興正寺を慕う門徒の多くが秀円寺・善楽寺に移る。

明治9年(1876)
同住職本座に昇進。

天保元年―4年(1830-1833)
第23代霊遊住職、本堂屋根葺き替え、庫裏の建て替え、門など破損修復。大鐘を改鋳。

安政3年(1856)

本堂基壇の礎石
(表)藤田氏
(裏)安政三年丙辰歳 季春中旬造

明治27年(1894)

 

南門横 維持基金懇志 寄付人名碑
写真右
(横)明治廿七年 現住 筑後霊通
(表)當寺維持基金懇志寄付人名
写真右から2つ目
 田壹枚(?)廿七歩 寄付人 木村 広瀬砂
写真右から3つ目
 経田(寺田のこと) 壹枚(?) 三畝 十五歩
  寄付人 末村
   中村貞七
   広瀬平八
   広瀬戈藏

大正11年(1922)

(裏)大正十一年
(表)考慈上人御來教記念(銀杏)

昭和13年(1938)石畳碑

(表)主施 鏡原米蔵
      安藤弥市
      牛島清之亮
(裏)昭和十三年秋
   代 筑後霊秀

昭和14年夏(1939) 手水屋前碑

(表)主施 木村大三
      徳武惣太
      細川勘
(裏)昭和十四年夏
   廿七世 霊秀

昭和14年秋(1939)灯篭前碑

(表)主施 広瀬長松
(裏)昭和十四年季秋
   廿七世 霊秀

昭和16年春(1941)南門碑

(表)礎石 大角 広瀬戟一
(裏)昭和十六年春 廿七世霊秀

昭和30年(1955) 本堂前灯篭

(右)昭和三十年十二月
   主施 長尾町 崎山家
(左)主施 長尾町 石川安一
      三木町 石川良一

昭和31年(1956) 勝如上人御巡教記念碑

(表)勝如上人御巡教記念
(裏)昭和三十一年

昭和38年(1963)納骨堂建立碑

(右)七拾萬圓 志度 廣瀬晃
(左)懇志省略 
特記 角天井 中村徳三郎 
   造庭園 松原武雄
一萬圓 川西繁太郎 戦死者 繁夫 政雄
(裏)昭和三十八年12月
   発起 二十八世 筑後霊秀
   現住職 筑後俊孝
総代 廣瀬晃
   細川長太郎
   崎山芳太郎
   多田義博

昭和57年(1982) 親鸞聖人像

施主 高松市 堀一久
       廣瀬フジエ
昭和五十七年十一月建立

昭和60年(1985) 親鸞聖人御幼少の像

寒川町 寄贈 阿部正直
台座 社会福祉法人 石田保育園
昭和六十年十二月吉日