お知恵に出会う(釋誠邦)

智慧の光明はかりなし
有量の諸相ことごとく
光暁かぶらぬものはなし
真実明に帰命せよ

南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏

皆様本日はようこそのおまいりです。
今日はみなさんに仏様のお知恵の話をさせていただきたく思います。
さてさて知恵とはなんでしょうね?
僕らはあまり考えずとも過ごさせていただいております。
これは知識とはちがうんじゃなかろうかとおもうのです。
知識っちゃ情報です。学校で習って頭に記憶したり、
経験が培ったものが知識でしょうね。
大変たくさん勉強なさる、これはこれで結構なことなんですが、
どうでしょう皆様の回りにこんな人はいませんか?
沢山勉強なさってえら~くなられて踏ん反りかえっておるひとです。
口には出しませんが、「わしゃ~えらいんぞ。頑張ったんやぞ。おまえらとは違うんやぞ」そう顔に書いておられる方いらっしゃいませんかね?
まぁ社会でくらしておりゃそういう人も見かけます。
知識があると、他の人のうまくいっとらんところがよー見える。なのですぐに「ありゃこーせにゃいかんじゃろが」「お前はまちがっとろーが」と声高に言われる。
たしかにその通りした方が、すんなり事を運ぶこともありましょうが、言われた人はっムとして聞く耳持たなくなるもんです。
なんでわしの言うこと聞かん?となる。お互いにうまくかみ合わなくなるんです。

知識だけやのーて知恵も人と人との間には必要なんです。
智慧っちゃなんでしょうね。
おそらくみんなが幸せになる方法を探っていくのがお知恵ですね。
知識は積み重ねるもんですが、智慧は磨くもんですね。
みなさんも磨いておられるでしょう。

こないだたまたま時代劇を見ておりましたら、うっかり八兵衛的な役どころが御隠居にお伺をたてる。
「ご隠居ご隠居!お知恵を拝借したい!」
そうですお知恵を聞きに来たわけです。あの人とうまく付き合うにはどーしたらいいか。また悪いことをした人をどういさめたらうまくおさまるか、それをお知恵というわけです。
お知恵は社会で実践していくもんでしょうね。
みなさんもなさっておるんです。
昔から色々口に出しておりますよ。

小さなことですが
毎日のあいさつをしていたりするのも小さなお知恵ですよ。
最近3歳になった息子が保育園から戻ると「おとーさんおかえりー!」と大きな声で走って帰ってきます。
親としては「いやいやおまえさん逆だろ。」と笑ってしまうんであります。
帰ってきたものは「ただいま」というんであります。
僕らがしゃべる日本語は難しいですね。
「ただいま」って言葉は短縮されておりますね。
「ただいま」は「ただいま帰りました。」(無事かえりました)が短縮されております。
迎えるものは「おかえり」「よう無事にもどってまいりました」という意味がこめられておりますね。
いう側も言われる側も安心したと伝えるんであります。

お知恵がやどった言葉ですね。
みなさんご飯を食べる前には「いただきます」といいなさいとお母さんからいわれたことでしょう。こりゃ昔っから親が教えた言葉ですよ。みなさんもお子さんもたれたら教えていかれるといいですね。この言葉も色々言葉が短くなって「いただきます」になってます。
もともとは「命をいただきます」ですね。
私たちの命をはぐくむために、お肉になって私の命となっていかれる動植物たちへの感謝。そのご縁に感謝して「いただきます」ともうすのですよ。
ありがたいことです。
人から良い事されたら「ありがとう」と言います。
みなさんありがとう言っていますか?

うちの妻は結婚した時から、朝ごはんを作ってくれます。結婚してしばらくして朝ごはんが出されたとき「ねぇ?おいしい?」と聞くんです。
「あぁおいしいです。ありがとう。」というと。「おいしいなら、おいしいと言ってよ」と言われたわけです。
おそらく妻にとって何も言われずご飯を作り続けるのはモチベーションが下がるんですね。
食べてる方が一言「おいしい」だとか「ありがとう」と言われればうれしくなるんです。
妻は自分の時間を削って朝起きてご飯を作ってくれているんです。ありがたいことじゃないですか。お父さん方もたまには愛しておられる奥様に言われるといいですよ。

以前テレビで脳科学者というひとが言われておりました。
「ありがとう」というと、いわれた側も嬉しいが、いった側の脳みそにもスイッチが入るそうですよ。「あぁこれはありがたいことをしていただいた」とおもうようになるらしい。
頭じゃわかっているかもしれませんが、声に出された方がいいそうです。

「ありがとう」っちゃどういう漢字を書くかご存知ですか?
「ありがたい」がもともとの言葉ですよね。
ありがたいは有難いとかきます。そうあることが難しいと書くんです。
じつは仏教のお経典からきた言葉であります。
仏法に出会うのは難しいというときに出てまいります。
どのくらい難しいかも説明しておりますよ。

千里の海を泳ぐ目の見えなくなった亀が100年に一度、海中より頭をだされます。亀は息を吸わねばいけないので苦しいんです。なんとかたくさん息を吸おうと海上を探しますがいかんせん目が見えないので上に行っとるのか下にいっとるのかわからんのであります。
そうこうして100年ほど、もうだめだ!と海上へ顔をだして一時の楽をえるわけです。
そこにですよ、たまたま浮き木が流れてきて、たまたま亀の頭にジャストフィットする穴が空いており、すっぽり亀の頭が入りまして、ずっと息ができるようになる。
こりゃ相当のラッキーだ。そんなことあり得ますかね?
えぇそりゃーものすごく有難い事なんであります。

ありがたいという言葉を日本人は気に入りました。
なのでえぇことをしてもらったらいうんであります「ありがとう」
親が子供に教えてあげられるお知恵であります。

僕らは仏様からお言葉教えられておりますよ、「なまんだぶつ」です。
有難い仏様から教えていただいた「なまんだぶつ」です。
かならず救うからどうぞまかせときんしゃい、そう阿弥陀さんが我々に教えてくださった「なまんだぶつ」です。阿弥陀さんのことを僕らは親様ともうしあげます。
親様はぜーんぶ僕らの不出来を分かっておいでになって、あーせーこーせーは言わんれんのです。ぜーんぶ僕らの不出来を知って、お知恵を働かせてくださいました。
御聖人はお知恵を光にたとえられた。お日さんの光は世界中にとどきます。
光の届かない人はおられんのです。
阿弥陀さんのお知恵は僕にもあなたにも届いておられる。
僕らは煩悩がありますから、その光には気づけんのであります。
でも僕らにもわかることがりますよ。
歎異抄では
「煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろずのこと、みなもつてそらごとたはごと、まことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。」と聖人がおっしゃたそうです。

僕らの目は煩悩で覆われとるので、目の見えない亀と同じで、良い方向悪い方向、わからんのであります。きっとこうすれば良い!と思っていても悪い結果を生む場合もあるんです。そんな我々に届けようと念仏を教えてくださった。このお念仏だけは間違いのない真実なんだと教えていただく。だから真実の明に帰命します、お任せしますと和讃に言われたんであります。

有難いことです。ありがたいことです。ありがとうの反対の意味の言葉をご存知ですか?
「ありがたい」の反対は「あたりまえ」っていうそうですよ。
みんな「あたりまえ」やと思っていたら頭も下がりませんね。
人に頭を下げされる事ばかりがニュースに上る昨今ですが、僕は自然と頭がさがる人生のほうが人としてえぇんじゃないかと思うんですよ。
有難い人々のご縁を頂いて、有難い仏様のお知恵に出会わせていただく。おもえば当たり前のことなんて一つもなかったんじゃないかと気付かせていただきます。
口に「なまんだぶつ」と言わせていただき、手を合わしたならば自然と頭がさがりますやろ。
みんなで「なまんだぶつ」をいただいていこうやないですか。


合掌

徳勝寺 釋誠邦 2017