醍醐

「いのり」について

「いのり」を機縁として


「いのり」について

「いのり」について考えさせられる発言があいついでいます。「いのり」はすべての宗教が根源的に持つものですと、毎日新聞に大峯教学研究所所長の発言として載ったのがことの発端でした。大峯所長自身は自分の発言が歪められたと毎日新聞に抗議をしたものの、この新聞掲載が元となり、いままで潜在的に「いのり」を認めていた門徒僧侶から、「いのり」を肯定して何が悪いのかという発言があいついでいます。

そこで、いままで仏教が何に苦労して歩んできたのかを振り返りながら、「いのり」をどのように考えてきたのかについて考えてみたいと思います。

「いのり」という言葉は、「いのる」という他動詞の名詞化であることは誰も疑うことはないでしょう。つまり、「いのる」という場合「〜にいのる」という風に、何者かの他者に対しての行為を指しています。

さて、では何者かに対して「何をいのる」のでしょうか。宗教学では、『崇拝対象としての神や仏と信仰者との内面的な交わり・対話を意味し,懺悔,感謝,救済,神仏との合一(神秘体験),願望の達成(祈願),呪術的行為(祈祷)などをその内容とする』と説明されています。一般的には、大きな悲しみなどに出会ったときや危機に直面したときに、何かにすがろうとしてあらわれる人間の本質的な願いのようなものと言えるでしょう。

その悲しみや苦しみから逃れるために、仏教ではどのようにしようとしたのでしょう。仏教の基本的な考えや対処の仕方をたずねてみたいと思います。


ベーダからお釈迦さまへ

仏教を創り上げたのは、お釈迦さまであるということについては、すでにご存知だと思います。どのような時代背景のなかでお釈迦さまはお生まれになったのでしょう。

お釈迦さまの時代までのインドの様子を、まずお話しなくてはなりません。紀元前1500年ころ、現在のドイツ周辺を中心に住んでいたアーリア人がインドまで移り住んでまいります。なぜそのような民族の大移動があったのかについては諸説あり、確定的なことは分かっていないのです。このアーリア人は、牧畜を主とする生活をしていたと思われています。彼らの宗教は、自然を神格化した多くの神々を信仰しており、祭式をとりしきる司祭の手で『リグ・ベーダ』という賛歌集が編纂されました。この教典の名前から、ベーダ時代と呼ばれています。

紀元前1000年前後になると、アーリア人の一部はガンジス河流域にまで進出し農耕文化を完成させます。当然信仰形態も変化することとなり、いくつかのベーダが編纂され、後期ベーダ時代と呼ばれています。祭式をとりしきる司祭(バラモン)の力が増大し、カースト制度が成立したのもこのころだと思われています。

この司祭であるバラモンの力が増大するにつれて、祭式至上主義を批判する者たちによって、ウパニシャッド哲学が起こってくるのも、この後期ベーダ時代だと言われています。

そのウパニシャッド哲学の中では、バラモンが政治的制度的に自らを優位にするために考えられたシステムを、根本的に再検討しようという動きがあったのです。インドに深く根ざしていた業思想、輪廻思想などはウパニシャッド哲学の中で完成されていきます。また、宇宙全体の根本原理である「ブラフマン(梵)」と、個人の変わることのない輪廻の主体である「アートマン(我)」が本質的に同一であるという梵我一如の考え方は、ウパニシャッド哲学の根本理念となります。さらに、業や輪廻から解脱するという思想は、これ以後のインドの哲学や宗教の本質的な規定として影響を与えることになるのです。

紀元前500年くらいになると、このウパニシャッド哲学を土台としながら、ベーダ教典の権威を認めない多数の「沙門」と呼ばれる自由思想家が現れてきます。彼らは、自由に新しい思想を次々に唱えはじめます。

お釈迦さまは、この「沙門」と呼ばれる自由思想家の一人として、インド哲学の中では見られているのです。つまり、ベーダ教典やウパニシャッド哲学を超えることで、お釈迦さま自身の解脱が完成することとなったのです。

 

ベーダとお釈迦さまの教えの違い

では、ベーダやウパニシャッドの教えと、お釈迦さまの教えの違いの根本はどこにあるのでしょう。

ベーダは祭式を中心とした多神教の教えでしたから、後のヒンズー教のように多くの神々を祭り、それらに祈ることで災厄から逃れようとしているのです。それを批判して生まれたウパニシャッドでは、個人が修行を通じてブラフマンとの一体感によって、業や輪廻から解脱をしようとしたのです。

ところが、お釈迦さまは因縁によってすべての存在があるのだから、アートマン自体がないことを、修行によってお悟りになり、それまでのすべての思想を超えられたのです。

つまり、「いのり」ということは、すでになんらの意味も持たないのです。正しく苦から逃れるためには、自らの修行によって縁起の法を体得して、無我を悟ることしかないのだと、お釈迦さまは教えてくださっているのです。ですから、最初期の経典の中にも「いのり」に類する言葉は、肯定的にはほとんど出てこないのです。むしろ、律部では呪術・呪文などを禁止し、批判・攻撃をしているのです。このことを仏教徒としては忘れてはならないと思います。

 

仏教の中の「いのり」

お釈迦さまがお亡くなりになり、在家者たちは仏塔(お釈迦さまのお墓)に詣でてお釈迦さまを偲ぶようになり、仏塔崇拝という動きはありますが、それがすぐに「いのり」という行為に結びついたのかどうかは、いささか疑問です。紀元前後には、やはり高徳の出家者たちに奉仕する在家者のありようが多かったと思われます。この在家者たちの活動が活発になってくることと、あい前後して大乗仏教運動が発生してきます。

しかし、その大乗仏教は現在の私たちが知っているそれとは基本的に異なり、中観(ちゅうがん)や瑜伽(ゆが)唯識という厳密な修行によって自らが悟りを目指す運動だったと思われます。

お釈迦さまがお亡くなりになってはるかな時を隔てたため、この頃には修行の果てに目指す仏陀が、理法や智慧や慈悲の象徴としての大乗仏として新たに登場することとなります。そして、修行などを含めた善行の功徳をその大乗仏に回向するという、新たな儀礼もできたと考えられています。広い意味での「いのり」と解釈しても良いかもしれませんが、勧請(かんじょう)・讃嘆(さんだん)・回向(えこう)というものであったことは、『十住毘婆沙論易行品』に龍樹菩薩さまから教えていただいている通りです。

 

密教の「いのり」

では、仏教の中に一般的に言われる「いのり」が出てくるのはいつの頃からでしょう。明確に特定することは困難ですが、おそらくは7世紀以降、ヒンズー教の影響を受けて密教が発生する頃のことだろうと考えられます。

密教は、アーリヤ系・非アーリヤ系の文化や、ヒンズー教などの影響下にあって、大乗仏教の一つとして生育したものです。そのために、お釈迦さまが禁止された呪術や呪文が、大乗仏教の考え方や修行法の一つとして意義付けられていくのです。

しかし、密教のこのような特徴は、仏教としては異端とも呼べるものですが、アジア各地に仏教が伝播する過程では、土着の宗教や文化と融合することで神仏習合(しんぶつしゅうごう)という形をとって、民族宗教と一体化しながら広まるために貢献したとも考えられます。

その密教の中においても、当初、呪術(じゅじゅつ)や呪文(じゅもん)は、本来の仏教に向けるための方便(ほうべん)であったのです。みずからの願いをいのるという行為によって、仏に向かうことにより、大乗仏教でも行っていた三昧行(さんまいぎょう)となり、その行へ向かわしめるための方便として呪術があり、その際の口業(くごう)としての呪文の意義はあったのです。後に密教が完成されたときには、その方便の意義が無視されて、呪術・呪文によって目的が達成されると過程が省略されることになります。

 

「いのり」を機縁として

「いのり」は、広義に解釈すれば仏に向かって私たちの善行を回向する行為も含まれますが、一般的には自らの災厄や苦難を救って欲しいと願うことだと言えると思います。

仏教では、そのような「いのり」の元にある、私たちの災厄や苦難から逃れようとする想いを、欲望であり、煩悩と見ているのです。これはお釈迦さまの時代から大乗仏教に至るまで変わらない考え方です。それが「いのり」を含めた呪術によって解決されないことは、お釈迦さまが教えてくださっていることです。

親鸞(しんらん)聖人(しょうにん)もお釈迦さまの教えどおり、自らの行為をすべて煩悩と見破られて、御みずからの「いのり」には何の効果もなく、また御みずからの行さえも雑行(ぞうぎょう)雑修(ざっしゅ)と反省なされたお方なのです。お釈迦さまから、七祖(しちそ)、そして親鸞聖人まで連綿と教えていただいたことは、ありのままに自分を観察することだったのです。

ありのままに自分を見つめたら、世界平和を祈ろうが、父親の病気の回復を願おうが、それは煩悩でしかなく、それを修行と定義することはできないのです。まして、仏にそれを回向することなどは、到底できることではないのです。だからこそ、親鸞聖人はすべては阿弥陀如来の本願として、仏の側からこの私たちに回向されているのだと教えてくださっているのです。

むしろ「いのり」たいと思う心の起こる時、それを機縁として阿弥陀如来さまから願われている自分自身であることを思い起こさせていただければ、それがもっとも大切なことであろうと思うのです。災厄や苦難にあうたびに、私を常に願っていてくださる阿弥陀様がいてくださり、呼んでいてくださるのだといただく時に、私は独りではないとありがたく喜ばせていただくことができるのです。

 

このように、仏教では「いのり」を正しい行へ導くための方便として説いてきた歴史があります。それは、お釈迦さまから伝わった、正しい道へ私たちを導いてくださる、多くの善知識さま方のお智慧でもあったことでしょう。

目先の災厄や苦難から逃れるような簡単な方法がないことは、すでに皆様方が体験的にも十分にご承知のことだと思います。もちろん、他宗派で「いのり」によって災厄や苦難から逃れようとしている方も多く見かけられます。その時には、本当のお釈迦さまからの教えは、浄土真宗のみ教えであり、今この時にもその方へも阿弥陀如来さまのご本願は届いていることをお話になって差し上げてください。きっと、半信半疑で「何もしないよりは、何かにいのっておく方が良いかな」と思っておられるに違いないのです。実は、いのっていてくださるのは阿弥陀さまであり、阿弥陀さまだからこそ願いが私たちに届くことができるのですから。

 



 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 



 
 
 
 
 
 
 
お釈迦さまの時代
 紀元前5〜6世紀のころであったと推定されています。








リグ・ベーダ
 バラモン教・ヒンズー教の根本聖典、4ベーダの一つ。


バラモン
 インドのカーストの中でもっとも上の階級。4ベーダを伝承し、祭祀を行って祭祀によって神々を動かす力を持つとされ、下の階級を指導した。

ウパニシャッド
 ベーダ聖典の一部を構成する哲学的文献

ブラフマン
 世界の根本原理あるいは絶対者の名称。
アートマン
 哲学的概念としては自我,自己,霊魂,さらに「本体」「万物に内在する霊妙な力」

沙門
 「つとめる人」。ブッダとほぼ同時代に出現したインドの新たな思想家たち




 








呪術
 一見無関係に存在する二つの事物の間に,超自然的・神秘的な対応関係または影響力の発現の可能性が存在することを前提とし,それら二つの事物のうちの一方,自らがそれを操作しうる象徴的な事物の方を操作して,その影響力を遠隔操作的に発動し,他方の事物に影響を及ぼし,あるいはそれを操作して特定の目的を達成しようとする行法ないし技法のこと.
 





仏塔
 仏滅後に舎利を八分して起塔供養したことにはじまる.釈尊の在世中にも仏陀の髪爪塔や迦葉仏の塔が建立されたと伝えられるが,アショーカ王はコーナーガマナ仏の塔を修築している.

中観
 有無,断常(断見・常見)といった極端な考えかた(二辺)を離れて,物事を自由に見る視点.

瑜伽唯識
 あらゆる存在はただ識,すなわち心にすぎないとする見解.自己の心のあり方をヨーガの実践を通して変革することによって悟りに到達しようとする教え.


密教
 7世紀に『大日経』と『金剛頂経』の成立によって,思想と実践体系を整え,中央アジアから中国,チベット,東南アジアなど各地に伝播して栄えたが,現存するのはチベット,モンゴル,ブータン,シッキム,ネパールなどのいわゆるチベット文化圏と日本に限られる.

神仏習合
 神と仏とが習(かさ)ね合うということで,日本に仏教が伝来して以来,日本の神と仏教の仏とが交わり,融合して行った状況を言ったもの.












いのり
 本来的には,崇拝対象としての神や仏と信仰者との内面的な交わり・対話を意味し,懺悔,感謝,救済,神仏との合一(神秘体験),願望の達成(祈願),呪術的行為(祈祷)などをその内容とする.しかし一般的には,失望・落胆・失意・不安などの逆境や危機に直面したときに現れ出る人間の基本的な本能とでもいうべき願心をさす.