讃岐の庄松さんについて

 香川県(讃岐)には、偉大なお同行がおられました。ところが、香川県ではほとんど誰にも評価されることなく、おもに県外の浄土真宗のご門徒たちによって高く評価されています。

 そこで今回、トップページに庄松さんの言葉を毎日読めるように仕掛けを作りました。楽しんでいただけると幸いです。

 

 さて、庄松(しょうま)さんとはどんな人だったのでしょう。1795年に大川郡丹生(にぶ)村小砂(こざれ)に生まれて、1871年に76歳で亡くなっています。家はそれほど裕福ではなかったようです。おそらくは小作をしていたのだと思われます。そこで、日雇いやよその家の手伝いなども頻繁にしていたようです。このあたりの事情はほとんど伝えられておりませんので、詳しくはほとんど分からないのです。

 また、庄松さんの語録にしても、かなり改ざんされており、讃岐の言葉になっていない部分があります。そんな言葉遣いはしないだろうと思われるまま伝わっているのが、きわめて残念です。

 

 元々は、かなり厳しい講に入っていたようで、身口意の三業で信心しなくては救われないというかなり厳しいものであったようです。そこでシッカリとした信心をいただき、さらに三本松の勝覚寺の衆徒であった周天という人がその講を捨てさせたようです。そこで本当の他力信心をいただくことができたので、生涯「周天如来」とその僧を敬ったといわれています。

 当時の讃岐は今よりもはるかに真宗の講が多かったようで、庄松さんはさまざまなところに呼ばれています。当時はまだ興正寺が本願寺派から分かれていませんので、本願寺派の塩屋別院(丸亀)にも足を運んだ記録が残っています。

 また篤信の家にも多く呼ばれていたようで、記録の中では五名の日根家や造田の岩沢家などが見えています。そこでは、庄松さんのお話を聞いたようで、いくつかの逸話が残っています。

 

 そのお話には少し毒があります。アイロニーに満ちているといったらよいのか、厳しいといったらよいのか、聞く人によっては反発をまねく言葉が多いようです。それでも多くの人に受け入れられていた庄松さんですから、かなりトボけた味があったのでしょう。そこに注意して読んでいただけると、一層味わいが深いのではないかと思われます。

 

 とにかく、今後思い出すたびに少しづつ庄松さんの言葉を書いていこうと思っています。