2000(平成12)年1月16日

御正忌報恩講ご満座のご親教

 本年も皆様とごいっしょに、御正忌報恩講をおつとめすることができました。宗祖親鸞聖人のおとくをしのび、聖人のおこころを我が身に深くあじあわせていただきましょう。

 御影堂の修復工事が始まり、この総御堂になりまして初めての御正忌となりますから、どうなることかと少し心配をしておりましたが、智恵を働かせてくださった方々のおかげで、この建物本体に傷をつけることなく、御影堂とほぼ同じ広さの参拝席を確保することができました。このたびの経験を踏まえ、今後さらに、工夫されることと思っております。

 昨年も、様々のできごとがありました。身近なこと、遠い場所でのこと、それぞれ大事なことであるとともに、また、解決の難しい事柄も少なくありません。その中で日本国内の出来事を見ますとき、たとえ直接、私自身、自分たちには関わりがなくても、私たちの生き方や考え方の根本を問う、問いかけるような性質が感じられます。御正忌を機縁に、あらためて、私の人生が何により、どこに向かっているのか考えたいと思います。

  親鸞聖人が教えてくださいましたのは、凡夫が仏になる道です。
 仏教一般には、戒律をまもり、修行をつんで、時間をかけて悟りをひらく、というのがふつうですけれども、浄土真宗の特徴は、凡夫が一足飛びに仏に成ることです。
 ともうしましても、ひとつだけ大事なことがあります。それは南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏ぬきで、ほとけになるわけにはいきません。蓮如上人は「弥陀をたのべば、南無阿弥陀仏が主になるなり。南無阿弥陀仏が主になるというは、信心をうることなり」とまた「当流の真実の宝というは、南無阿弥陀仏、これ、一念の信心なり」とおしゃっています。
 人はそれぞれ、才能や実力そして財産をもっています。うまれつきのもの、私に努力して身につけたもの、さまざまです。それらは、かならずしも各自に公平にいきわたっているとはいえません。また使い方を誤れば、いのちを傷つけることにもなります。
 ところが南無阿弥陀仏は、まったく同じ宝物が、誰にでもひとしく与えられるのです。そしてその働きは、私たちに等しくお浄土でさとりを開かせてくださるとともに、今ここに生きる意味を与えてくださいます。

 親鸞聖人は、信心を得たものは、今ここに十種類の利益を得るとおのべになっています。その第八番目には、知恩報徳、恩を知り、徳を報ずる事。第九は、常行大悲、常に大悲を行ずる。第十は正定聚に入るとあります。
 かみ砕いて味わってみますと、お浄土で悟りを開くことに定まる。つまり、今ここで、いのちの行き先が定まる。私のいのちは、阿弥陀如来様のひかりといのちのはたらきがみちみちていてくださること。そして、このいのちをささえ、育ててくださることを感謝し、阿弥陀様のおこころに答える人生となるといえましょう。

 申すまでもなく、この世の様々の問題の具体的な解決は、お聖教の中に記されているわけではありません。また、正しい解決方法がわかっても、すぐその通りにできるとも限りません。
 しかし、すこしでも、阿弥陀様のおこころにそうように、いきいきとまた、柔軟に人生を送りたいと思います。その一つは物事をできるだけ、ありのままに受け止めることです。
 最近の事件は、つらいことをうけいれる代わりに、それをないもと決めてしまうといった態度もみられます。あらゆるいのちのつながりを大切にし、共によろこび共にかなしむという生き方をめざしたいと思います。

 このたびの御正忌報恩講を機縁に親鸞聖人のお徳を偲びますとともに、聖人を慕って歩まれた私たちの先人の方々に習って、私たちも「南無阿弥陀仏」とお念仏もうして人生を歩ませていただきましょう。

文責:筑後誠隆