以下の文章は、本願寺の宗会・教区活性化委員会に招聘されたので、自分の整理のために書いたものであります。しかし、かなりうまくまとまっていると思うので、ここに公開します。もちろんかなり多数の文献を読んで書いていますので、本来ならば文献名を挙げるべきなのですが、ほとんど忘れてしまっている状態なので‥‥略します。

情報社会における教団

インターネット利用のビジョンと課題

第1章 情報社会とは

現在突入しようとしている情報社会を、このように認識している

情報社会とは

現時点を、工業商業を中心とした産業社会の延長上でとらえようとしても、全体を概観することは難しい。社会構造の枠組みが変わろうとしているのだと認識しなければ理解しづらい。これを「パラダイム・シフト」と呼んでいる。

それでは産業社会の次に来るのはどのような社会構造なのかというと、大勢は「情報社会」という言葉でまとめられつつある。この情報社会とはどのような社会構造をもって構築されるのかを、最初にまとめてみる。

情報社会とは、コンピュータによる迅速な情報処理と、多様な通信メディアによる広範な情報伝達によって、大量の情報が不断に生産、蓄積、伝播されている社会をさす。通信技術とコンピュータの飛躍的な発達を背景として、1960年代後半ころから日常的にも広く用いられるようになった。物質やエネルギーの変形・処理を主要な産業とする工業社会の後に到来する社会という意味での脱工業社会(post-industrial society)という言い方もある。つまり、情報操作によって付加価値を生産する産業(知識産業や情報産業)が主流となる社会である。また、人々の日常生活のなかで、情報に対する要求が強まり、情報メディアに接触する時間量が増大し、意思決定や適応行動にとって情報の重要性がますます大きくなるなど、一般に情報への依存度がきわめて高い社会である。

情報社会の発展は、社会にさまざまな利便をもたらし、人々の生活を快適なものにしていく可能性をもつ。潤沢な情報の存在とその効率的な処理は、原理的には最適の判断をもたらす条件となるはずだからである。

しかし、情報化社会には次のような深刻な問題もある。人々がしっかりとした選択能力をもたないと、過剰な情報に振り回されて適切な判断ができず、かえって混乱におちいる危険がある。量的には豊富に情報が存在していても、具体的な意思決定にとって有用な情報が不足しているという、質的貧困状態がしばしばみられる。コンピュータや通信メディアのごく部分的な事故が、社会全体に機能麻痺をもたらしかねない脆弱性を内包している。

大きな組織や権力機構が情報を秘匿したり故意に歪めたりするいわゆる情報操作によって、人々の環境への適応行動を誤らせる危険が大きい。企業や行政に対する情報公開要求は、こうした危険に対する防衛の意味がある。

個人に関する情報が本人の知らない間に不当に利用され、プライバシーを侵害する危険も小さくない。クレジットカードのシステムや行政事務のコンピュータ化などには、便利さとプライバシー侵害の危険性とが同時併存している。

プロシューマ(生産消費者)の出現

情報社会の特徴は、コンピュータとネットワークによって、情報の受発信が自由にできる。

ここでいう情報とは、人間の行動記録であり、たんにドキュメントなどだけが情報ではない。たとえば、人や物が動く際に発生する書類も情報である。この情報によって、人の行動を記録している。この情報は、受信して活用するだけでなく、個人の行動記録として情報が発信される。これはホームページなどの積極的に発信するだけでなく、商品購入や、銀行での振込も自動的に発信される。つまり、プライベートな行動も含めて、すべて情報としてネッワーク上に発信されるということになる。

たとえば、コンビニエンスストアでクレジットカードを使って商品を購入すると、そのバーコードによって25種類の情報が発信され活用される。積極的情報発信ではないが、人間は情報の生産者であり発信しつづけている。

産業社会では、商品を作るものと消費するものは別々に扱われていたが、情報社会では、情報を起点に見るので、生産者と消費者は分化されない。その際、生産者と消費者が分離できないことでプロシューマと言われる言葉さえ作られた。

このように情報発信・受信が自由に出来るようになると、セキュリティの問題が重要になる。しかし、現在はかなり高度なセキュリティが確保されつつある。

このセキュリティの上に始めて、情報の受発信の自由が確保されてくるのである。それにともない、発信者側によって発信する情報を管理できる体制も整えられてきた。これによって、プライバシーの保護などもかなり厳密に行われるようになってきた。

また、最近では情報の受発信にともなう必要経費も大幅に安くなりつつあり、来年には、月額5千円で24時間インターネットにアクセスできることが目標になっている。これにより誰にでも情報発信の道が開けてき始めた。

ネットワークの特性(即時性・情報共有・波及効果)

このような社会の様相が現れるには、コンピュータの力が大きい。コンピュータは、情報の入出力と記録と計算しかできないが、コンピュータどうしで情報を受け渡しする。この能力によって、自動的に情報を収集したり、必要な情報を検索することができる。

以前は、非常に大きなコンピュータに情報をすべて収集して、すべての仕事を一元化することが効率的だとされた。しかし、コンピュータが小型化され、能力的に大きくなった現在は、すべての情報は分散化され、それらのコンピュータをネットワークして、その役割を果たしている。

この小型のコンピュータどうしを結びつける方式が、インターネットである。

注)誤解されているが、インターネットという方式はアメリカの国防総省が作ったものではない。コンピュータのユーザたちが考え出したものである。

さて、このようにネットワークされることで、愕然と変わったことがある。それは、情報は瞬時に伝播され、その情報によって波及効果が生じる。瞬時に世界中に広がった情報は、世界中で共有できる。

この情報を共有できるということが、情報社会のもう一つの重要な部分である。一個人の思考には限界があるが、さまざまな人間が検証することによって、その思考はより確かなものになる。多くの人間によって共有されるということは、互いに検証されるということである。これによって情報自体はより正確なものとなる。しかも、旧来の時間や場所の制限はインターネットによって越え、相互に情報交換して、共有範囲は広がり検証スピードも検証レベルも格段に大きくなる。

情報社会の様相

情報社会ではどのような生活になるかを、具体的に想定してみたい。

コンピュータは、この情報社会の道具としてはほんの一部となるだろう。情報を検索したり取得する端末は、WebTVなどと呼ばれる次世代のTVか、TVゲームマシンが主役と考えられる。TV番組自体も、情報を娯楽的に見せるための演出となり、番組の背後にはさまざまな情報が複合的に収録される。また、すべての端末に24時間途切れることなくネットワークがつながるだろう。これはNTTのラインであるかどうかは分からない。CATV・無線情報通信などのインフラによって、常にネットワークされる。

たとえばニュースを見ていて、地名がわからなければ地名をクリックすることで、地図があらわれ、その場所のその時の映像も取得できる。その際、その情報の正否は、そこを知っている利用者によってチェックされ、間違いは瞬時に修正される。TV番組自体もネットワーク上で検証される。

相互に検証されるので、特定個人の流す情報の正否もチェックされる。誤情報を流しつづける個人も特定され、ネットワークから排除される可能性がある。

権力者自身も常にチェックされつづけるので、権力が特定のものに集中することは激減する。権力構造が薄らぐと、間接民主主義の意味も薄らぐ。一部の法案では、直接民主主義が導入される可能性がある。インターネット上の株式公開や住民投票などに、その萌芽が見られる。

情報公開

このような時代背景にたって、現在の情報公開(ディスクロージャ)という流れがスタートしている。

情報公開とは、広報活動のような情報提供と区別し、政府機関が国民の「知る権利」を保障する目的で、請求に基づき情報を開示することをいう。その目的は、国民による行政の監視・統制と行政への参加とを容易にすることによって公正で開かれた行政を実現し、政府と国民の信頼関係を形成・維持することである。

現在は、民間企業が消費者の安全・利益のために各種媒体を通じて自社および商品の情報を提供することも「情報公開」(information disclosure)といい、じつはこちらの方を指している場合が多い。本願寺派でも、当然、情報公開をする必要がある。

情報自身は客観的なものであるが、受け取る人間は主観的に受け取り、時には感情的に受け取る場合がある。そこで、情報を公開しないと、情報を隠匿しているのではないかと考える人間が出現する。また、実像を公開せず、作為による情報だけを発信しているのではないかと疑うものが出てくる。こう感じられると、発信者がネットワーク上から排除される可能性がある。これはつまり、社会から排除されるということと同義だと言える。

このように考えるとき、情報公開は情報を保有する者から積極的に行われるべきである。また、一部の情報を秘匿したり、脚色を加えることは、別機関から秘匿脚色を指摘された場合、発信者の信頼性を著しく損なうこととなる。そこで、すでに情報公開を進めている企業団体では、自身にとって不都合な情報から先行して公開している場合があり、おおむね好評である。

情報の取り扱い方

以上のような情報社会において、情報そのものの位置付けを考える。

情報は、組織においては最も重要なリソース資源である。個人の作成したリソース資源であったとしても、宗派の情報を扱う場合は宗派のものであると考えるべきである。
宗務所内の部局によっては、別のセクションに情報を共有しない部署がある。これはセクションで情報を横領しているのと変わりがない。そこで、全セクションの管理者に対する情報教育がどうしても必要である。

また前述のように、情報は共有されることによって資源が再利用可能となる。単に記録されるだけではなく、再利用されなければ死蔵されているのと同じである。

このような構想の上に使用されているのが、グループウェアと言うソフト群である。一人の人間が一つの業務を分担するのではなく、グループとして業務を分担しているわけだから、共同作業がやりやすいように互いの情報をグループとして共有し活動しようと言うものである。これによって、情報の再利用が効率的に行われ、経費と時間が大幅に節約される。さらにいうなら、情報量が多くなるので、より正確な、しかも迅速な判断が可能になる。

本願寺派の場合、宗務情報は宗務所・教務所で情報を共有して、一つの共同体として活動する必要がある。さらに、末寺住職を包含し、門信徒を包含し一大ネットワークを構築することを目標としている。

まとめにかえて

社会構造の変化は、大きな変化がすでに2回あった。1回目は、狩猟社会から農業社会の変革であり、2回目は、農業社会から工業社会への変革であった。

現在考えられているのは、工業社会は、商工業を中心に経済活動が発展し、最終的には現在生じつつある情報社会へ移行する事となるであろう、ということである。

工業社会は、同質のものを大量生産すると言う事ですべての人々の生活を豊かにしようとする動きであった。産業革命を大きな転換点として、同じ商品を大量に生産して、その生活格差を縮めようとする動きであった。そこで大量生産をするために、大工場が必要となり、その生産物を大量消費するためのシステム作りが行われた。一つは都市化であり、今一つは物流である。いずれも、人間の力をはるかに超えた圧倒的な動力を必要とするために、すべての資源が集積されて行った。

工業社会が集積によって成り立っていたのに対し、情報社会ではそれらが分散されることになる。人が分散し、モノが分散し、それらの情報をネットワークすることによって、システム化し機能させようとする。人が分散していたとしても、人が生み出すのは情報であり、その情報が新たな情報を作り出す資源となっていく。

農業・工業生産物がどのように流通するのかを考えても判る。どのような生産物であったとしても、それを移動させなくてはならず、その移動指示は情報である。最終的に残るのは、情報だけである。その情報が、遅滞することなく受発信できることが、現代の求めているシステム作りの根幹である。

そこで、現在のような限定品種大量生産ではなく、多品種少量生産が主流になるであろう。つまり、今よりもっと付加価値の高いものとなるはずである。たとえば、スーツでも、オーダーしたのと同程度のサイズ・バリエーションが出てきて、それが量販店と同程度の価格帯で提供されることになるだろう。そんなことができるかどうかは、発注情報がどの程度時間を食っているのかを考えれば分かる。注文してからカット指示書が縫製工場に届くまでの時間がなくなってしまえば良いだけである。

このように、情報の伝播速度が上がってくると、今では考えられないことが当たり前になってしまう。その時の状況を具体的にすべてを推論することはできないが、現在の時代の流れはおおむねその方向を示唆しているものと考えられる。つまり、単に社会構造が瓦解しているので生じている現状ではなく、過渡的に発生している状況だと見るべきである。

銀行などが統合しているのは、ネットワークを拡大しようとしているのであり、分散化と逆の動きのように見えるのは過渡的状況であろう。顧客のニーズによって、次第に商品は高付加価値なものとなって、処理は分散化されるだろう。処理が分散化されれば、業務に従事する人間は一箇所に集積する必要はなくなってくるはずである。最終的に都市は生活や業務の場所ではなく、必要情報を提供する場所となる。

寺院も同様に必要情報を提供しつづける場所に変化すれば、集客力がでるだろう。そのために後述する総合学園の分校化が考えられている。寺院がこれまで情報を提供する場であったということも、再度検証すべきである。